姫路顕栄教会

2010 年8月の聖句PDFファイル

光の子として歩みなさい」
エフェソの信徒への手紙第4章8節








〜 神様の光に照らされて 〜


教会の礼拝堂に入ると、そこには必ずローソクがあります。そして、礼拝が始まる前には ローソクに火が灯されて礼拝が始まります。なぜでしょうか。実は、このローソクの光は神様を現しているからです。神様が天地万物を創造された時に「光あ れ」と命令されて光は造られました。ですから、光ある所には神様がそこにおられますよ、ということを意味しているのです。

 またイエス様もご自分のことを次のように言われました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書第8章12 節)と。

 わたしたち人間はこの世に生まれてから、長い人生を歩んでいきますが、これから先に何が起きるのか分かる人がいるでしょうか。「一寸先は闇」ということ わざがありますが、誰も分からないと思います。そのように、わたしたちひとりひとりは真っ暗闇の中を手探りしながら毎日歩んでいるのではないでしょうか。 そのようなわたしたちにとって、誰か信頼できる方が「こっちだよ」と語りかけながら、進むべき道を照らして下さり、一緒に歩んでくださるならばどれほど安 心でしょうか。また導いて下さる方がわたしたち一人一人を心から大切に思って下さって、命がけで守って下さり、人生の真の目的地まで導いてくださるならば どんなに力強い人生となるでしょうか。その信頼できる方こそ世の光であるイエス・キリストであると聖書は教えてくれるのです。
 イエス様は十字架で死んで、復活され、肉眼では見えませんが、現在も生きておられます。そして、さまざまな形あるものや声で全ての人々に語りかけて来ら れます。そして、羊が羊飼いの声を聞いて安心して従っていくように、キリストの声を聞いて、キリストと一緒に歩む人を「光の子」と言います。光の子はもは やひとりぼっちではありません。いつも側によみがえりのイエス様(キリスト)がいて下さるのです。わたしたちは人生の道に迷った時、かならずキリストは光 を照らして進むべき道を示してくださいます。また誰かを愛したり、困っている人を助けようとする時、自分の弱さのために恥ずかしがったり、勇気がなかった り、疲れてくるために途中で止めてしまいますが、そのような時もイエス様は愛の力をわたしたちに注ぎ込んで下さり励まして下さるのです。
 世の光であるイエス様の光に照らされて、「光の子」として歩んで参りましょう。

チャプレン 日本聖公会 司祭 ヨハネ 芳我 秀一


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