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| 2007年2月の聖句 | PDFファイル | |||
| 「ことばは、かみであった」 | ヨハネ福音書 1:1 | |||
| 「納
豆を食べるとダイエットになる」というテレビ番組が放送されるや、店頭から納豆が品切れ状態になり、その番組が捏造だとわかると「だまされた!」と抗議が
殺到しました。納豆嫌いの私の人生には全く影響のない出来事でしたが、いやはや「美しくなりたい」という女性の願いは(クレオパトラや楊貴妃の頃から)人
類永遠のテーマです。 ある音楽家は「先ず、自分の言葉が相手を傷つけるかどうかを感じる能力を育てること、それが育てばバッハやモーツア ルトの美しい音楽を感じとることができる」と語っておられました。そうですね。私たちが「美しく」なるためには、先ず、何よりも「美しい言葉」を身につけ ること、全ての「美しさ」は、そこから始まるのです。 聖書には言葉の恐ろしさについて、次のようなみ言葉が記されています。「御覧なさ い。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は不義の世界です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き 尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。(中略)。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちて います。わたしたちは舌で、父である神を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出てくるのです。」(ヤコブ 書 3章5節―10節) なんとも辛辣な聖句ですが、言葉というものの本質をピタリと言い表しています。子どもたちには、美しい人に成長し て欲しい、そのためには、美しい言葉を身につけさせることが必要十分条件です。では、どうすれば、子どもたちに美しい言葉を身につけさせることができるの か。そのための道は唯一つ、わたしたち大人がいつも美しい言葉を語ること、これしか方法はありません そして、牧師である私は自信をもって 宣言します「いつも神さまといっしょにいることが、美しい人になるための最高の方法です」。なぜなら、イエスさまは、神さまの美しい「ことば」そのもので あられたからです。聖ヨハネは記しています。「初めに言葉があった。言葉は神であった」(ヨハネ福音書 1章1節)。 キリストの平和 | ||
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